伊曽乃神社例大祭【御神輿】


 

 

 

御神輿の御巡行は、

  

伊曽乃の神様が、地区地区へ行って、氏子の皆さんの健康と繁栄を身近に御覧になり御神徳をお授けになる一年に一度の大切な祭事で、よくお神楽をあげると言いますが、神幸祭(しんこうさい)といいます。

具体的には、15日は午前6時に煙火(えんか)の合図による御神輿の出御「宮出し」から始まって、午後6時に常心原お旅所に御駐泊するまでの間に20か所の神楽所で次々とお神楽をあげていくのです。 16日は午前5時にお旅所でお神楽をあげたのち、15か所の神楽所で次々とお神楽をあげて、午後6時に本宮に帰御「宮入り」するのです。この二日間の巡行距離は、合計51㎞余りにもなります。 

御神輿は、何回かの修理が行われ現在に至っているのですが、最初につくられたのは、西条藩初代藩主松平頼純(よりずみ)公の在任の寛文10年(1670年)から正徳元年(1711年)ころではないかといわれています。その御神輿も、現在は台車に乗せて巡行するので楽になったのですが、昭和42年(1967年)までは2日間の全行程を、担いで巡行していましたので大変な苦労がありました。

 

 

藩政期の伊曽乃神社の祭礼は、 

旧暦の9月14・15日に行われていました。「宮出し」をした御神輿は14日に常心のお旅所で一夜をすごし、15日の朝西条御城下ヘ渡御しました。お旅所ではこの両日、相撲・狂言等の興業が行われ、見せ物小屋や出店がに立ち並んでいました。また、御城下町でも市が立って伊曽乃市とよばれ、馬市も開かれていました。

15日には近在の村率御城下町から楽車等がお旅所に集まり、行列を整えて御城下へ渡りました。この行列は華麗かつおごそかで、行列に加わる人の数も目をみはるものでありました。行列が村を行く時は村役人、町の中を行く時は町役人が裃、帯刀の姿で供奉しました。『伊曽乃神社志』には「神輿を昇く者四十人計り皆烏帽子、黄色なる装束なり、神輿付の役人、警固の武士、何れも綺羅を飾り威儀を正す」とあり、まことに豪華言幸麗な行列であったことがうかがわれます。行列が西条藩邸の御門前に到着すると、称宜が管弦を奏し、神楽や八乙女の舞いが上演されました。さらに大宮司・小神司が祝言を誦み、幣帛を捧げて神事が終了します。御門前には浅黄綸子、紫縮緬、緋緞子の幕が張りめぐらされ、太守が祭礼行列やその神事を高覧しました。このあと行列は玉津から明神木を経て加茂川の河原に至り、神輿が川を渡って「宮入り」します。行列に加わった楽車などは、御城下側の堤に整然と並んで神輿の宮入りを見送りました。

こうした祭礼の行事の中には現在は行われていないものもありますが、西条祭りは今日でも市民の最大の行事となっています。 

 

 (参考文献)

西条市誌(西条市)、西条市生活文化誌(西条市)、西條史談(西條史談会)、続・西條のお祭り(吉本勝)、伊曽乃神社祭礼絵巻(伊曽乃神社)、伊曽乃神社御昇格五十周年記(伊曽乃神社)、伊曽乃祭礼楽車考(佐藤秀之)、愛媛新聞(愛媛新聞社)、愛媛県生涯学習センター資料。




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