旧西條藩陣屋跡(現・愛媛県立西条高等学校)

ここに陣屋を築いたのは、第一次西條藩二代藩主の一柳直重

寛永13年(1636)に伊勢神戸(かんべ)城主の一柳直盛が西条にお国替えとなったのですが、赴任の途中で大坂で病没してしまい、嗣子直重が3万石で後を継ぎ、西条へ。まず、大町村(大町・大念寺の東)に仮住まいするかたわら、陣屋の築造や町並みの区画造りに着手しました。葦(あし)の生えた湿地帯と川の流れを利用して堀を巡らし、泥をかき揚げて土塁を造り、石垣を築き中が見えないように黒松を植えた。黒松の間には矢来(やらい|竹や丸太を縦横に粗く組んで作った仮の囲い)を造った。

 

第一次西條藩一柳家は、寛文5年(1665)までの三代30年で改易となり、天領五年の後、寛文10年(1670)に徳川家康の孫で御三家紀伊徳川家の分家・松平頼純が第二次初代西條藩主となりました。その後、明治2年(1869)の版籍奉還までの約200年間、十代にわたり松平家3万石の城下町として栄えました。

西條藩における武家屋敷の分布(1835年)
西條藩における武家屋敷の分布(1835年)
幕末頃の藩邸の図(西条市誌)
幕末頃の藩邸の図(西条市誌)


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