![伊勢神宮 遷御の儀 2013.10.02](https://image.jimcdn.com/app/cms/image/transf/dimension=270x1024:format=jpg/path/sd0d18b9e6e0c7c85/image/i7de3588c0edaeb76/version/1380757657/image.jpg)
伊勢神宮で「遷御の儀」 【式年遷宮】
20年に1度社殿を建て替え、奉納する宝物や装束などの新調して神様に引っ越してもらう伊勢神宮(三重県伊勢市)の式年遷宮が、10月2日夜、8年間にわたって続けられた祭事や行事のクライマックスで、新しい正殿にご神体を移す「遷御(せんぎょ)の儀」が内宮(内宮)で営まれました。「浄闇(じょうあん)」と呼ばれる神聖な闇の中、絹のベールに包まれたご神体は、神職らによって現社殿の西隣りに同じ規模で造られた新宮に納められました。
約1300年前の飛鳥時代から続くとされる神事で今回が62回目。1300年にわたって、国の繁栄や国民の幸せを願っています。
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![伊曽乃神社](https://image.jimcdn.com/app/cms/image/transf/dimension=270x1024:format=jpg/path/sd0d18b9e6e0c7c85/image/ic36d27714c55eef4/version/1380929392/image.jpg)
伊曽乃神社
第十二代景行天皇の皇子の武國凝別命(たけくにこりわけのみこと)は、国土開発の大任をおび伊予の地に封ぜられ、皇祖天照皇大御神を奉斎し人々を愛撫し皇威を弘められました。
命の御子孫は伊予三村別(みむらわけ)氏としてこの地方にひろがり栄え、天照皇大神に始祖武國凝別命をあわせ祀りました。これが伊曽乃神社の創祀であります。奈良時代には伊予国第一の大社として皇室の御崇敬もあつく、淳仁天皇の御代には新羅遠征に対する祈願がなされ、その後も南海道の海賊平定祈願等たびたびの奉幣祈願がなされました。称徳天皇の御代には神戸十烟を、更に翌年五烟を奉り従四位下に叙せられました。これはわが国における神位奉授の始めであります。延喜式内の名神大社であり、その後正一位に極位致しました。崇徳天皇の御祈願と共に勅額を賜り、その後も国司領主等による社地神田の寄進及び社殿の建立等が続きました。
昭和15年国幣中社に列格し、昭和57年には浩宮様(現皇太子殿下)も御参拝されました。
もともと伊曽乃神社は天照大神(あまてらすおおみかみ)と加毛武國凝別命(かもたけくにこりわけのみこと)の2座とされていた。しかし、明治の国家政策上、天照大神は伊勢神宮だけであらねばならず、またその事が要因ともなり伊曽乃神社の国幣社認可は明治10年の歎願より何度も見送られた。昭和になり関係者特に大倉粂馬氏の尽力により、続日本書紀、新抄格勅府、長寛勘文、類聚國史等の古書の記述に基づき伊曽乃神一座として昭和15年(紀元2600年)11月1日に実に63年かけて国幣中社に列格した。
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