愛媛地方航空機乗員養成所(西条海軍航空隊)
かつて、愛媛県西条市(旧:周桑郡吉井村)に「逓信(ていしん)省愛媛地方航空機乗員養成所」がありました。後に旧海軍の「西条海軍航空隊」に移管しました。
昭和13年2月、逓信省は、愛媛県周桑郡吉井村の中山川河口付近(約32万坪)を埋め立て、飛行場建設工事に着手しました。昭和15年10月に完工。
昭和17年4月21日、西条市の海岸沿いの埋立地に民間パイロットの養成機関「愛媛地方航空機乗員養成所」が開設され、養成所には操縦員養成の「操縦科生」と整備士養成の「本科生」の2つの課程が設定されました。「操縦科生」は、昭和19年3月までに302名が入所し、内特攻22名を含む127名が戦死しました。
昭和19年3月15日に詫間海軍航空隊西条分遣隊として、愛媛県周桑郡吉井村の逓信省愛媛地方航空機乗員養成所を接収して設置され、養成中の操縦科14期生は全員入隊となりました。
昭和20年3月1日に独立し、水上機訓練を継続しました。最終的に実施部隊へ転換されましたが、特攻要員は桜花特攻部隊へ転属し、西条空独自の特攻作戦は実施されませんでした。
昭和20年3月19日に約30機の米軍爆撃機が、愛媛県の海軍基地を襲撃しました。西条市の西条基地では米軍機による機銃掃射やロケット弾攻撃を受け、数機の練習機が破壊され、米軍機が格納庫に墜落、炎上しました。