お米の行事について






七草粥の日 「春の七草」  1月7日

春の七草
春の七草

七草がゆ・七草粥(ななくさがゆ)・七種粥とは、人日の節句(1月7日)の朝に食べられている日本の行事食(料理)です。

 

七草がゆを食べる1月7日は、端午や七夕などの五節句のひとつ「人日(じんじつ)の節句」です。古来の中国では、元日からそれぞれの日に動物を当てはめて占いを行い、該当する動物を殺さない風習がありました。7日目に当たるのが「人」であったことから日本では、「人」を大切にするという考えのもと、春の野原で芽吹く「七草」の入った七草がゆを食べて、1年の無病息災を祈る風習が生まれました。

 

中国は前漢の時代、東方朔が記した占いの書には、正月1日に鶏、2日に狗、3日に羊、4日に猪、5日に牛、6日に馬、7日に人、8日に穀を占ってその日が晴天ならば吉、雨天ならば凶の兆しであるとされていました。

 

7種の野菜(せり、なずな、ごぎょう、はこべら、ほとけのざ、すずな、すずしろ)を刻んで入れたかゆを「七草がゆ」といい、邪気を払い万病を除く占いとして食べる。呪術的な意味ばかりでなく、御節料理で疲れた胃を休め、野菜が乏しい冬場に不足しがちな栄養素を補うという効能がある。

 

「春の七草」の詳細は、こちら 

「鏡開き」の日  1月11日

「おむすび」の日  1月17日 (2000年制定)

おむすびの日 1月17日
おむすびの日 1月17日

1995年(平成7年)1月17日は、阪神・淡路大震災の日。


豊かな、飽食の暮らしが根本から問い直されました。食べ物もなく、不安のどん底にいた被災者は、このボランティアによる炊き出し(おむすび)に助けられました。
この大震災の体験をきっかけに、「ごはんを食べよう国民運動」がはじまりました。


いつまでも食料とりわけ米の重要性、ボランティアの善意を忘れないために、ごはんを食べよう国民運動推進協議会では2000年(平成12年)11月24日に「おむすびの日」を阪神・淡路大震災発生日の1月17日と定めました (日本記念日協議会 登録済)。

「恵方巻き」 2月3日

恵方巻 2月3日
恵方巻 2月3日

恵方巻恵方巻き(えほうまき)とは、節分にその年の恵方を向いて食べると縁起が良いともされる、太巻き・またその太巻きを食べる大阪を中心として行われている「太巻き丸かぶり(丸かぶり寿司)」の事。別称として「恵方寿司」「招福巻」「幸運巻」「開運巻き寿司」などと表現されることもある。

 

恵方巻きの【恵方】は、陰陽道でその年の干支によって定められた最も良いとされる方角のことで、その方向に歳徳神(としとくじん)がいると言われる。その恵方に向かって巻き寿司を食べることから、「恵方巻き」や「恵方寿司」と呼ばれるようになった。

 

発祥】 については、

江戸時代末期から明治初期にかけて、大阪船場の旦那衆が節分の日に行っていた、

 

① 船場にある階段の中段で、遊女に巻きずしを「丸かぶり」させるお大尽遊び(花魁遊び)を元とする説(船場の旦那衆の遊び・花街の遊び)、

 ※花街での縁起担ぎの遊びであり、旦那さんの一物(男性器)に見立てた太巻きを遊女に丸かじりさせる事

  で、その一年の安泰を祈願したもの。

② 江戸時代の終わり頃、大阪の商人たちの商売繁盛と厄払いの意味合いで、立春の前日の節分に「幸運巻寿司」の習慣が始まったとされたと言う説などがある(厄落とし、縁起担ぎ)

 

が、元々は、関西の風習であり、明治時代に一旦廃れた後、1977年の大阪海苔問屋協同組合の海苔の販売促進行事で復活した。そして、1989年さらに広島のセブンイレブンが全国に広めました。 

 

 

認知度アンケート調査(マイボイスコム:[2009年2月]調査)

「恵方巻を知っているか」との問いに「知らない」と答えたのはわずか7.3%で、認知度は実に9割以上。関西発祥とはいえ、今や恵方巻の存在は日本人の常識となっているようです。

一方、実際に恵方巻を「食べる」とした人は全体の39.7%と4割弱にとどまり、認知度とのギャップを見せた。地域別では、発祥の地である「関西」では68.6%が「食べる」と答え、「中国・四国」も55.6%と半数を超えたが、「関東」では30.5%などその他の地域では軒並み3割前後にとどまっている。


「雑穀」の日 3月9日

雑穀の日 3月9日
雑穀の日 3月9日

 

 日本雑穀協会では、3月9日雑穀(ざっこく)の日として定め、食材としてのおいしさや高い栄養価、作物資源としての重要性など、雑穀のすばらしさを伝えていく記念日としています。

 

 日付は、3月9日を“ざっ・こく”と読む語呂合わせに由来しますが、雑穀の栽培が始まる少し前の時季であること、また、春の食卓やメニューにより多くの雑穀を取り入れていただきたいことから、新しい準備を始める3月上旬に記念日を制定しています。

 

  39は、サンキューとも読み、五穀の恵に感謝する一日として、雑穀の日を通じて、日本人の主食の原点ともいえる『雑穀』のすばらしさが広く認知されるよう、普及啓発活動を日本雑穀協会では行なっています。

 

 日本雑穀協会では、3月9日雑穀の日を通じて、日本人の主食の原点ともいえる『雑穀』のすばらしさが広く認知されるよう、普及啓発活動を行なっています。

 

「梅」の日 6月6日

6月6日の梅の日です。

 

今から460余年(1545年)前の6月6日、時の天皇(後奈良天皇)が京都「葵祭」で有名な賀茂神社に詣で、梅を奉納して祈ったところ、たちまち雷鳴とともに雨が降り始め、五穀豊穣をもたらしました。人々はその天恵の雨を「梅雨」とよび、梅に感謝すると共に、災いや疫病を除き、福を招く梅を「梅法師」と呼んで贈り物にするようになったと言われています。〈宮中日記「御湯殿上の日記」〉

 

日本一の梅の産地・和歌山県田辺市の紀州田辺うめ振興協議会「紀州梅の会」は、6月6日を「梅の日」と制定し、毎年宮中とご縁のある賀茂神社に、そして世界遺産の地、熊野本宮大社をはじめ地元須賀神社に人々の無病息災と平穏を祈願して梅を献上し、さらには10月10日、豊穣を祝って梅干を奉納しております。

 

6月6日「梅の日」に 梅干しおにぎり を食べよう!

「麦とろ」の日 6月16日

麦とろの日 6月16日
麦とろの日 6月16日

麦とろの日(むぎとろのひ)とは、麦とろご飯を食べ、元気に夏を乗り切ってもらおうと、「麦ごはんの会」が制定した記念日。

 

毎年6月16日(日本記念日協会に認定されているしっかりとした記念日です)。日付けの由来は「麦」6と「とろ」16の語呂合わせでムギトロからです。

 

麦ご飯のイメージアップと普及を目指しています。「麦とろ御飯」は栄養価が高く、夏バテ予防にも適しています。

麦ごはんは、発汗で失われがちなビタミンB類とミネラルが含まれています。とろろと一緒に食べると、栄養吸収率を高め、胃腸の消化吸収を助ける効果があるといわれています。


 

「おにぎり」の日 6月18日 

 

 日本最古のおにぎりの化石が発見された石川県旧鹿西町(ろくせいまち)の「ろく」と、米の漢字は「十」と「八」に分解できることから、6月18日が「おにぎりの日」とされました。

おにぎりの日 6月18日
おにぎりの日 6月18日
一般社団法人おにぎり協会より
一般社団法人おにぎり協会より

土用の丑の日

夏の土用の丑の日

 

江戸時代の狂歌師の大田南畝が神田川という、うなぎ屋に頼まれ「土用の丑の日

に、うなぎを食べたら病気にならないという内容の狂歌を作って宣伝したという。

また、幕末の発明家の平賀源内が、江戸時代に「夏場にウナギが売れないので何とかしたい」と相談してきたうなぎ屋の知人のために「本日、土用の丑の日」と書いて張り紙をしたところ大繁盛したことが、土用の丑の日の由来とも言われます。これがヒットした背景に、当時は、「丑の日にちなんで“う”から始まる食べ物を食べると夏負けしない」と言う風習があったからだそうです。

 

うなぎ、うし、うま、うどん、瓜、梅干し‥

 

要は、夏枯れでうなぎが売れない現状を何とかしようと、マーケティングした結果が、百年以上たっても「土用の丑の日」の由来。

 

うなぎが最もおいしい旬は、秋から冬にかけての時期だそうです。特に水温が下がりはじめる10月頃の冬眠に備えてたくさん栄養を蓄えたうなぎや、川や湖で5年から12年成長して産卵のため川を下り出す「下りうなぎ」が美味とされています。

 

「お米」の日 8月18日

お米の日(おこめのひ)は、米の記念日です。

1978(昭和53)年、全国農業協同組合が毎月日を記念日に制定しました。米は収穫するまでに88の手間がかかるといわれること、米という漢字を分解すると八十八になることが由来です。コメの日(毎月8日、18日、28日)は、JA(全国農業協同組合)の直営店コメコメハウスが制定したものです。

 

 

 

「防災」の日 9月1日

備蓄

「新嘗祭(にいなめさい)」11月23日

新嘗祭の「新」は新穀(初穂)、「嘗」は御馳走を意味し、天照大神(あまてらすおおみかみ)はじめすべての神様に新穀をお供えして、神様の恵みによって新穀を得たことを感謝するお祭りのことで、毎年1123日に行われています。

 

「新嘗」とは、その年に収穫された新穀や新酒を天照大神をはじめとする天地の神に供え農作物の恵みに感謝し食することをいいます。
新嘗祭は、日本の古くからの重要な祭儀であり「豊葦原の瑞穂の国」の祭祀を司る最高責任者である天皇が、その年にとれた新穀を天神地祇に供えて、 農作物の収穫に感謝するとともに、自らも初めて召し上がれる祭典です。この日は祭日で、全国の農山漁村ではもちろんのこと、それぞれの地方で神社に新穀を捧げ、その年の収穫を神々に感謝してお祝いをしてきました。
戦後に11月23日は勤労感謝の日(勤労をたっとび、生産を祝い、国民がたがいに感謝しあう日)と代えられましたが、新嘗祭は、元々このように天皇と国民とが一体となって天地自然の神々に感謝し、収穫を喜び合う全国民的な祭典だったのです。

 

このように、日本人はお祭りを通して神さまの恵みに感謝をささげてきました。

今日もおいしいお米が頂けることを「あたり前」とは思わずに、常に感謝の気持ちを持ち続けたいものです。 

「赤飯」の日 11月23日

赤飯のルーツは、今からおよそ2500年前に中国大陸から日本に初めて伝わったお米赤米です。赤飯は神に捧げるお供え物として、赤米を豊作の祈願として捧げる風習に由来する食べ物です。邪馬台国や大和朝廷への献上米も赤米が主であったといわれています。

 

さらに、11月23日は、全国各地の神社で五穀を奉る行事(新嘗祭|にいなめさい)が継承されています。新嘗祭の起源は古く、古事記にも天照大御神が新嘗祭を行ったことが記されています。皇居では天皇が感謝をこめて新穀を神々に奉ると共に、御自らも召し上がります。

現在では「勤労感謝の日」として、国民の祝日となっていますが、命の糧を神さまからいただくための勤労を尊び、感謝をしあうことに由来しているといわれています。

 

五穀の中に、お赤飯の起源と言われる赤米が含まれる事もあり、平成24年11月23日を「お赤飯の日」として制定しました。また、この日は、11月23日「勤労感謝の日」の日であり、日頃の感謝の気持ちを込めてお赤飯を贈って欲しい、食べて欲しいとの気持ちを込めて、『お赤飯の日』にふさわしいとなったわけです。 



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