2013年

7月

22日

お観音さんの花火(西条市 8月17日)

西条市民納涼花火大会

 

8月17日(土)の午後8時から約1時間、

4,000あまりの大小さまざまな打ち上げ花火が夜空を彩ります。

 

天正3年(1585年)豊臣秀吉(とよとみひでよし)の四国進攻の命を受けた小早川隆景(こばやかわたかかげ)との合戦にで、禎祥寺(ていしょうじ・通称、喜多川のお観音さん)の僧 林瑞和尚(りんずいおしょう)をふくめ、地方の豪族のほとんどが西条市の野々市ヶ原(ののいちがはら)などで戦死しました。

 

17日は「市民納涼花火大会」(お観音さんの花火)。土日でなく、毎年この日に決まっています。

昔は旧暦の7月17日、高尾城落城の日に天正の陣(1585年)で命を落とした人々の霊を慰めるために、その翌年送り火として花火を打ち上げた事に始まり、四〇〇余年の伝統を誇っています。

現在は一月遅れの盆に合わせ、8月17日となっています。

 

400年前の「敗戦記念日」が8月17日です。西条市民にとって400年前の「戦没者を追悼し平和を祈念する日」であり「祖先を敬い、亡くなった人を偲ぶ日」でもあります。

 

市民納涼花火大会交通規制図(西条市)

開催場所:愛媛県西条市 加茂川河畔中堤防

主催者:西条市観光協会

 

 

野々市原古戦場(千人塚)
 
船屋金子氏の初代・金子孫八郎は、野々市原の囲いを破り船屋に逃れております。野々市原の囲いとは、小早川隆景方の資料によると「仕寄、鹿垣、詰口」という方法で取り囲んだのです。簡単に云えば、民家などの戸板や柱を取ってきて垣を作ります。所々に逃げ口を作り、ここに隠れて待っていています。出てきた者は1人残らず殺すという囲いです。「城督・金子備後守元宅を初めとして、宗徒の者600余一時に打ち果たしそうろう」とありますので、一気に600人ほどが討死したと思われます。小早川隆景はなぜこんな方法をとったのでしょうか。小早川隆景方の資料によると、「丸山も落城した。里城も落城した。その勢いで高尾城も攻めおとそうと思っていたら、小早川隆景が云うには、これから先は沢山の城がある。それに土佐の大軍とも戦わねばならない。だから焦らずに攻めよ」と云うので長期戦に持ち込んだと云うのです。そして、高尾城を落し、野々市原に打って出た者600余人を一気に討ち果たしたのです。四国の戦いはこれが最初で最後、小早川隆景が心配するような戦いは無かったのです。小早川隆景が首実検をした時、金子備後守元宅を見つけ、特別にここに埋めたと云われております。この前で、小早川隆景は「討つ者も 討たれる者も 夢なれや 早くも醒めたり 汝等が夢」と唱えて、弔いのため刀抜し舞を舞ったと云われております。
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