2013年

6月

21日

日本人は「米食悲願民族」だった!

米食悲願民族
米食悲願民族

「日本はコメの文化」

明治の初年度は人口3,000万人が毎日、コメを食べて暮らせるような稲作の状況ではありませんでした。

 

京都大学の渡部忠世(わたなべただよ)名誉教授は、以前日本人は「米食民族」ではなく米食悲願民族だった、「コメを毎日食べたい」というのが悲願だった、と指摘しています。

この悲願として私たちの祖先は、可能なところすべてに水田を拓(ひら)き、一回でも多くの米を食べることを願ってきました。棚田はいわば、米食を悲願とした祖先の汗と涙の結晶といえるのです。

 

では、日本人が腹一杯、米だけのご飯を食べることができるようになったのは、せいぜいこの50年(半世紀)あまりのことです。庶民が『米』を主食として常食できるようになったのは戦後(1960年代)の高度経済成長以降のことで、それまでは雑穀麦、芋、豆を混ぜたご飯が当たり前でした。日本人は、史上ずっと混ぜご飯を食べてきました。

 

昔、農民は年貢などで米を滅多に食べず、明治時代までは、麦、雑穀、イモ類が主食の地域がたくさんありました。小麦は、粉にしないと食べづらいため、そうめん、ほうとう、ひっつみ、お焼きなどの伝統的粉食が誕生しました。そばやうどんは粉食のファーストフードです。奈良時代から小麦菓子も存在し、まんじゅう、きんつばなどは江戸の庶民も食べていました。

一方、米といえば、元禄期に白米を都市住民(町民)が食べていましたが、常食化したのは大正~昭和初期、生産量が増加してからです。農民も含め全国民の主食が『米』になったのは、昭和30年代高度経済成長以降です。

 

誰もが白米を腹一杯食べられるようになった現在、その悲願を果たしたものの、米作りは衰退し、消費は減少し、減反しても価格は下がり、農家は高齢化が進んだ。減反・減反で圃場も荒れてきている。

日本人は、「米食悲願民族」であったはず。その悲願が達成されると、その子孫は忘れてしまったのだろうか?日本人の遺伝子にはプログラムされているはずだが??

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