我が街「西条市」紹介 (伊予西条藩)

西条藩松平家上屋敷跡 (青山学院大学)

現在、青山学院大学が建っている敷地は、江戸時代には伊予国西条藩松平家の上屋敷でした。西条藩松平家は、紀州徳川家からでた親藩連枝で、徳川吉宗が将軍になったあとの紀州藩に藩主を送り込むなど、宗藩との関係が非常に深い家柄だったそうです。維新の興奮も冷めやらぬ明治4年(1871)、西条藩上屋敷跡地4万坪のうち約3万坪は、北海道開拓使の第1官園となります。東京に3つあった開拓使官園は、いまでいう農業試験場のようなもので、第1、第2官園では野菜・果樹類を育て、第3官園では牧畜、牧草の育成をおこなっていました。当時、青山や渋谷はまだまだ田畑の広がるのどかな郊外で、西条藩上屋敷は、江戸時代に霊山・大山に詣でる巡礼で栄えた大山街道沿いにありましたが、版籍奉還廃藩置県によって大名が立ち退いたあとは、広大な敷地をぜいたくに使うえるような状況になっていました。開拓使官園が早々と北海道に移転したあと、空いた敷地に目をつけたのが、合併をめざして新校地を探していた2つのキリスト教系学校です。横浜山手に開校していた「美會神学校」と、東京築地にあった「東京英学校」で、これがのちに青山学院大学の原形となります。彼らは明治15年(1882)に、総額6千円で念願の校地を購入し、それ以来、青山の地は青山学院大学の中心となったのです(現在の区画では、渋谷区渋谷3丁目となっています)。 (「北海道開拓と青山学院:藩邸イルミネーション2[西条藩上屋敷] 」より)]

元々は青山忠成(松平広忠と徳川家康と徳川秀忠の3代に仕えた家臣)の広大な屋敷がありましたが改易の憂き目に遭い、松平頼純(紀州徳川の祖・徳川頼宣の3男で徳川光圀と徳川家光は従兄弟に当たります)が忠成の屋敷を接収すると、以後西条藩・松平家の上屋敷となりました

西条藩松平家下屋敷跡 (NHK放送センター)


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